ようようと温かくなって、少し汗ばんだり。あぁ、夏が近いんだなぁ。川沿いを散歩していると、花は咲き始め、風は生ぬるくなり、四季の移ろいを実感する。日が暮れるのが遅くなり、夕暮れの街を橋の向こうに眺めていると、なんだか、23世紀ぐらいから声が聞こえてきそうな、こないような。ほら、誰かに伝えたいメッセージを、石か何かに刻んで、地中に埋めておいたら未来人が見つけてくれるかもしれない。そうすると、自分の他愛のない日常が、未来の誰かにとっての、歴史の1ページになって、ひょっとしたら、ロマンを馳せてくれるかもしれない。
最近の僕はと言えば、相変わらず訳のわからないことを考えていて、そんなことに浸っているようでいて、帰り道に定食屋が出来たのが嬉しかったり、ほんの少しだけ、自分にとって現実感のある未来を想像したりしている。いろいろな人と話したりして、何か糧を得ていたり、何だかなぁと思って見たり、届きそうで届かなかったり、伝わりそうで伝わらなかったり、つまりのところ、迷いというか、とりとめも無いことを日がな考えていたりする。
そうだ、メッセージボトルの中に、チョコバットを入れよう。そうすると、未来の人は何を思うだろうか。デジタル化していく今の世界に、少しでもアナログな物を残したい。それも、ひょっとすると、意味の無いことかも知れない。レコードが大衆から駆逐されたように、馬車がこの世界から駆逐されたように、レシプロエンジンの、プロペラ機同士が空を戦ったりすることがないように、今日の自分がしていることの意味が無くなる日、そこが未来なのかもしれない。
昔の人が洞窟の壁に、「最近の若いモノは」という趣旨の言葉を残した。そこから、なんとせか経っても、人間の思考や行動は大して変わっていないのかな、きっと。テクノロジーが進化したら、人間がサルのようになる。そんな、SFもあったなぁ。でも、きっとそうではないのだと、自分都市ては確信している。更にテクノロジーが進化しても、概念や本質は変わらないはず。だって、にんげんだもの。
ということで、とりとめて意味のあるのか無いのか、そんな感じにしてみました。別に真面目でもなんでもないのですが。久しぶりに、こういうテイストで長文をだらだら書いたので楽しい。
最近の安眠大渋滞さんですが、iTunes Store にて、「あの娘の夕方」の配信が始まっています。何をとちくるったか、新録のコーラス他も入っています。とちくるったって、ミキちゃんのコーラスなら、狂いようがありませんが、私のコーラスです。はい、すなわちライブ版に近い感じになっています。
久しぶりにデモ以外でギターも弾きました。別のトラックに入っているギターが、いかんせんウチのカズキ選手なので、緊張するのなんのって。いや、ベーシストですからとか、そういう言い訳するのもシャクだなぁと思ったので、結構長い時間費やして弾きました。まぁ、単純なギターなのですが。
なんと、謝恩価格150円でダウンロードが出来るんですって、奥さん。
ようやく宣伝までたどり着いたところで、以下読者の方だけ。
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