どうも、こんばんは。
今月もその名に恥じぬ体たらく更新。
期日を守らず、居直り、不都合をごまかす。そのくせ、自らの利益の侵害には非常に敏感。
まさしく、愚鈍なる大衆。
グドンであること、体たらくであること、それこそがPOPだッッッッ!!!!!!
改めましてこんばんは、THE林’sです。
いや待て、見ている人は昼かもしれん。こんにちはかもしれん。
How do you do? ご機嫌いかが? かもしれん。
ダメだよ、ヒ○ナンデスを見てるなんて許さないよ、ぼかぁ。
所謂、タモロスなのです。私。
32年の歴史に幕をおろした訳です。いいとも。
私が生まれた頃にはもういいともがTVで放映されていて、
今まさしく、いいともの存在しない世界を初めて歩いているのですが、
寂しい。
非常に寂しいのです。
浮世とはこれほどまでに空虚なのか、と考えてしまいます。
特にお昼が空虚です。
はっきり言って、タモリさんの狂信的なファンでもなければ、いいとも自体を長らく愛し、
ずっと放送をおっかけて来たわけでもありません。
しかしながらこの損失感。
帰りの車の中で、SMAP慎吾ちゃんのスピーチを思い出して、一人さめざめと泣く始末。
なにが私の感情をここまで昂ぶらせるのか。
世の中がいいともの終焉を知り、騒ぎ始め、私もその風潮に便乗しただけに過ぎないのかも知れない。
否
そこにこそ、このコラムに書くべきPOP性、大衆性が隠されている気がするのだ。
いいとも、あるいはタモリさんのPOPアイコンとしての偉大さよ。
タモリさんがいいともの終焉を宣言してからというもの、
芸人の深夜ラジオや、あらゆるエンタメニュースがその終焉にふれ、
最終的には終焉に向かっていく番組に、錚々たるバラエティの巨人が軒を連ね、
完全に最終回の一部の画は伝説と化した。
しまいには現役内閣総理大臣まで登場し、政治利用の対象として機能するまでの、国家レベルのムーヴメントになった。
この一連のムーブメントを生み出す流れである。
つまり大衆を蜂起させる、いいともの、圧倒的POP要素。
これは、驚異的だった。
この根底にあるのは、32年間、日本の昼を支えてきた実績と、
それに携わり続けた、タモリさん並びにスタッフさんの存在であると思う。
もはやこの辺については、その辺のエンタメ研究家みたいな人の記事を読んだほうが為になるし、
より社会的な正解に近づけることと思いますが、恥を忍んで筆を置かない。
演者の皆さんが異口同音にタモリさんへの感謝を口にするのは、
飯食ったり、話を積み重ねたりというコミュニケーションで培った信頼関係があるからだろう。
タモリさんや、いいとも自体に対する信頼。
それらが打算的かどうかはさておいて、
その信頼が忠誠に変わり、あらゆる人を動かし、あれだけ盛大で感動的な終焉になったのだと思う。
私も最終的に巻き込まれた。この記事をアップした瞬間にそれは揺るがぬ事実となる。
むしろ、そうありたいとさえ思う。タモリさんに飯連れてってもらってないのに。
盛大なウチワ劇なんて揶揄する声があるけれども、
まさしく、いいともには周囲や演者を引き込み、ウチワに変える能力、魅力があり、
それは、大きなムーヴメントを生み出す上で非常に必要な能力なのではないかと感じた次第だ。
つまり、いいとものPOPさ、やべぇ…って話なんです。
SMAPメンバーの言葉はかなり重たいし、いつになく素直なものだったけれど、
あの感動的なシーンは、まさしく偉大なるウチワ感が生み出したものと言えると思う。
POPアイコンたるアイドルに、パーソナリティを基本とした涙はいらない、プロではない、と
思われる方もいるかもしれないけれど、あの瞬間その区分について考える余地が僕にはなかった。
やはり、個人と個人の繋がりは強いし、圧倒的な魅力を放つ。
長くなりました。もはや音楽のこと一つも書いてない・・・。いいともばっか・・・。
そんな、タモロスの僕は今月もライブします。
向こう一ヶ月はタモロスの方(自分含む)の為に演奏しますので、
同症状をお持ちの方はぜひどうぞ。
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